今だから話せること:父に言われた言葉
こんにちは、喜名子です。
今日ははてなブログの特別お題「今だから話せること」について綴ります。
20代で結婚し、アジアの発展途上国で暮らした後、離婚して日本に帰国したのですが、実はその時、離婚したからといって、すぐ帰国するつもりではありませんでした。
住んでいる家もあったし、仕事もあったし、人間関係も…。その国に10年以上、暮らしていたので、すでに自分の『生活』はその国にあったのです。
そんな中、帰国を決めたのには、父の希望が大きかったです。
日本に帰国し、両親と兄が暮らす実家に戻り、そんな私に父が言った言葉は、「日本人になりなさい」。
その言葉の意味は、海外帰りのような雰囲気を出すな、日本の服を着て、日本人らしい振る舞いをしなさい、ということのようでした。
(※今から10年以上前のことですし、あくまで父の個人的意見です)
父はまず、母と兄に、きちんと挨拶をすること、これから実家で暮らすことを伝え、許可を得るように私に言いました。
私は母と兄に「よろしくお願いします」と言って、頭を下げました。
父はそれから数年後に他界し、私も実家を出て一人暮らしを始めるのですが、一緒に暮らしていた間、家族は、私の海外での暮らしについて、そこでの結婚生活、そして離婚について、一切触れることはありませんでした。
それはもしかしたら、思いやりであったのかもしれません。
しかし、その「一切触れない」という態度に、自分の10年以上に渡ったアジアの国での生活が「なかったこと」にされている、と感じ、傷ついた自分がいました。
父は頑固な昭和のお父さん、といった感じの男性でした。
彼の「日本人になりなさい」という言葉には、これからの日本での生活を考え、私のため、という父なりの考えがあったのでしょう。
しかし当時の自分にとっては、良いことも悪いこともあったけれど、それも全て含めて自分の経験だった、その時間を否定されたように感じたのでした。
結局、日本には10年ちょい暮らし、今再び海外で暮らしています。
父もすでに天国の人。
そんな今、思うことがあります。
父の言葉に反発もし、悲しくもなったけれど、父は確かに私のことを心配していたのだと。
10何年振りでの日本での暮らしは、最初こそ戸惑いもあったけれど、何となく馴染んで、海外と同じように良いことも悪いことも経験しました。
あのまま海外にとどまっていたら、もしかして、日本という国を遠く感じるようになったかもしれない。
一度、日本に帰ったことで、10年前とは変わった日本を体感し、家族と過ごすことができました。
父の言葉は、まだその国を離れたくなかった私に対して、そして将来またどこかへ行くかもしれない私にとって、「故郷を失うことのないように」という、そんな想いが込められていたのかもしれません。
だとしたら、日本という大切な「故郷」は、父からの最後の贈り物だったのかも、そんな風に感じています。
☆今日も読んでくださってありがとうございました☆
喜名子(きなこ)
☆Kindleで本を出しています
国際恋愛の先にあるビザ手続き、夫や家族との関係、海外移住。国際結婚したその先が見えてくる
☆応援ありがとうございます